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東京地方裁判所 平成7年(行ウ)222号 判決 1998年3月11日

原告

飯田光弘

右訴訟代理人弁護士

安川幸雄

三村伸之

被告

京橋郵便局長常山邦雄

右訴訟代理人弁護士

大田黒昔生

右指定代理人

川口泰司

飯山義雄

泉宏哉

久埜彰

鈴木日出男

萩原涼悦

星利明

小美野紀之

榎本晃司

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告が原告に対し平成六年七月七日付けでした懲戒戒告処分を取り消す。

第二事案の概要

本件は、京橋郵便局勤務の郵政事務官である原告が、同局三階普通郵便課配達区分事務室で区分函に向かって配達区分作業に従事中、背後に立っていた副課長に対し、いきなり振り向きざまに、左手こぶしでその手を強く叩く暴行を加えたとして、被告によって懲戒戒告処分を受けたが、この懲戒処分は事実誤認に基づく違法な処分であると同時に法令適用も誤ったものであり、懲戒権者の持つ処分権を著しく逸脱・濫用したものとして、その取消を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  原告について

原告は、平成元年八月二八日、郵政事務官に任ぜられた者で、平成六年七月七日当時、京橋郵便局普通郵便課に所属し、現在も同課に勤務している。

2  事実の経緯

(一) 原告は、平成六年六月三日、日1勤務(午前八時から午後四時四五分まで)の指定を受けていた。

午前八時の始業に当たり、原告ら職員に対して、三階の普通郵便課配達区分事務室で「配達区分」という仕事を行うべき旨の指示があった。原告は、同事務室に行き配達区分作業に着手し、同作業を約四〇分間継続した。

京橋郵便局普通郵便課長小林恒夫(以下「小林課長」という。)は、航空通常郵便物(航空郵便)の配達区分作業を行っていた。小林課長は、区分未了の航空郵便が相当量残っていたのに対し、他の職員の内国郵便の処理が進み終盤の段階になっていたため、手の空いた職員に対し、右区分作業を手伝うよう求めた。

原告は、これに対し、率先して自分が行う旨応え、小林課長の前にあったファイバー(郵便物を入れておく箱)を、自分が作業していた区分函のある所に持って行った。

その際原告が、年寄りは横文字が読めないとの趣旨の発言をしたため、小林課長は、自分を揶揄するものと受け止めて右発言をとがめ、原告が区分作業をしている左側約六〇センチメートル付近の至近距離にやって来て、原告と右発言についてやり取りをした。

更にそのやり取りの間、京橋郵便局普通郵便課副課長椎谷訓生(以下「椎谷副課長」という。)が、原告の背後やや斜め左の約五〇センチメートル離れた場所に立った。原告の正面には区分函が、原告と小林課長との間には台車に乗ったファイバーがあった。椎谷副課長は、右手にボールペンを、左手にメモ帳を持ち、小林課長と原告との右やり取りをメモし始めた。

原告は、これに対し、左手を振り、(それが左手こぶしであるか左手に持った郵便物であるかは争いがあるが)何かが椎谷副課長の手に当たった。小林課長は、これに対し、「暴力だ」、「処分の対象になる」と発言した。

なお、原告の身長は一六八・五センチメートル、椎谷副課長の身長は一六九センチメートルであった。

(二) 小林課長は、右事実に対し、「現認書」を作成した。そこには原告が「椎谷副課長の両手を強くたたいた」との記述がされていた。

椎谷副課長は、その後、医師の診断を受けておらず、診断書も作成されていない。

3  懲戒戒告処分について

(一) 被告は、平成六年七月七日、原告に対し、国家公務員法八二条一号及び三号を根拠として、懲戒戒告処分をした(以下「本件処分」という。)。

本件処分の理由につき、処分理由説明書には、原告が「平成6年6月3日、同課(注。京橋郵便局普通郵便課のこと)事務室内において、同課副課長某(注。椎谷副課長のこと)に対し、手を叩く暴行を加えた」と記載され、人事院での審査請求事案(平成六年第二四号京橋郵便局事案。)における被告の答弁書には「原告が平成六年六月三日午前八時四四分頃椎谷に対し、いきなり振り向きざまに、左手こぶしで椎谷の手を強く叩く暴行を加えた」と記載されていた。

(二) 原告は、人事院に対し、本件処分について審査請求をした(右審査請求事案)。人事院は、平成七年五月二九日付けで本件処分を承認する旨の判定を行い、その判定書は、同年六月五日ころ、原告に送付された。

(以上の事実は当事者間に争いのない事実のほか、弁論の全趣旨により認められる。)

二  主要な争点

1  原告が、平成六年六月三日午前八時四四分ころ、京橋郵便局三階普通郵便課配達区分事務室内において、同課の椎谷副課長に対し、左手こぶしで、同人の手を叩く暴行を加えたか。

2  本件処分は、懲戒権者が、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用してしたものと認められるか。

三  被告の主張

1  懲戒事由の存在について―非違行為

小林課長は、平成六年六月三日午前八時過ぎから、京橋郵便局三階普通郵便課配達区分事務室において、椎谷副課長ら職員約三〇名と共に、当日配達する郵便物の区分作業を行っていた。

小林課長は、午前八時四二分ころ、区分作業がほぼ終わりに近づき手空きの生じた職員が出始めた状況を確認し、右職員らに対し、自ら区分していた航空通常郵便物の未処理分約一〇〇〇通を区分作業するよう指示した。普通郵便課長の本来の職務は、同課が所管する事務の統括であったが、小林課長は、円滑な業務運行に資するため、自ら航空通常郵便物の区分作業を行っていた。

原告は、小林課長の右指示に従い、小林課長の所に赴いて、右未処理分の入った区分かご(ファイバー)を乗せてあるキャスター付き台車を受け取り、原告が区分作業していた区分函の所に戻って区分作業を始めたが、それと同時に「年寄りは英語が読めないのか」と大声を発した。これを聞いた小林課長は、原告に近寄って「飯田君、誰に向かって言っているのか」とただした。原告は、「独り言だよ独り言」と答えたので、小林課長は、大声での私語を慎むよう、「黙って区分をやりなさい」と注意した。しかし、原告は、右注意に従うことなく、更に自己の上司である小林課長に「読めるんなら一緒にやろうよ」と言い返した。小林課長は、再度「黙ってやりなさい」と注意した。

しかし、原告は、またもや「横文字が読めないのかい」と大声を発した。小林課長は、原告に対し、「暴言だぞ、その言い方は」とたしなめた。原告は、これに対しても、「暴言」との言葉をとらえて「バーゲンだ」と言い、更に小林課長が「何を言っている」とただしたのに対しても、重ねて「バーゲンだろう」と答えた。

椎谷副課長は、午前八時四三分ころ、小林課長が原告に対して注意、指導しているのに気付き、その状況を現認し、記録するために二人に近づいて右やり取りをメモに取り始めた。右のように注意、指導状況を把握、記録することは、管理者の当然の職責であり、椎谷副課長は日ごろからこれを実行していた。その時、小林課長は、区分函に向かっていた原告の左横やや後方約六〇センチメートルの位置に立っていた。小林課長と原告との間には、航空通常郵便物の入ったファイバーを乗せたキャスター付き台車が置かれていた。椎谷副課長は、左手にメモ帳、右手にボールペンを持ち、原告の後方やや斜め左の約五〇センチメートルの位置で、かつ、原告と原告の背後で区分作業をしていた職員のほぼ中間やや左に立っていた。

原告は、午前八時四四分ころ、突然、故意に、無言のまま、体を左方向に回転させ、振り向きざまに、何も持っていない左手のこぶしで、椎谷副課長の左手の甲を強く殴打した。椎谷副課長は、両手を重ね合わせるような形でメモを取っていたが、原告の右行為を受けた勢いで、両手でみぞおち付近を強打し、一瞬息が止まるほどの衝撃を受けると共に、左手に持っていたメモ帳を床に落としそうになった。

椎谷副課長は、原告の右行為に対して、「暴力を振るったな」と注意した。原告は「挑発するな」と大声を発した。小林課長は、「現認した。暴力は処分の対象だ」と告げた。原告は、「暴力は認める。俺はいい。処分は受けるつもりだ」と発言し、「だから挑発はするな」と言葉を続けた。

小林課長は、原告に対して「飯田君、業務命令だ。黙って区分しなさい」と命じた。しかし、原告は右指示に従うことなく、更に小林課長に詰め寄りながら「俺はいいんだよ。挑発しないでやってよ」と発言したが、普通郵便課員中島定男が近づき、原告に対して「やめよう」と言って制止したのをきっかけに、原告は再び区分作業に着手した。

小林課長は、区分作業が終了した午前九時ころ、二階普通郵便課事務室内の自席に椎谷副課長を呼び、原告に殴打された椎谷副課長の左手の様子を確認したところ、その左手甲にやや赤みが残っているのが認められた。その際、椎谷副課長は患部にほてりを感じていたが、他に外傷や異常がなかったので仕事に戻った。

2  本件処分の適法性

国家公務員法は、同法八二条所定の懲戒事由がある場合に、懲戒権者が、懲戒処分をすべきかどうか、また懲戒処分をするときにいかなる処分を選択すべきかを判断するについて、公正であるべきこと(同法七四条一項)を定め、平等取扱の原則(同法二七条)及び不利益取扱いの禁止(同法一〇八条の七)に違反してはならないことを定めている以外に、具体的な基準を設けていない。右判断は、平素から庁内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝にあたる者の裁量にゆだねられているものと解するべきである。したがって、懲戒権者が右の裁量権の行使としてした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして違法とならないものというべきである。

原告が左手のこぶしで椎谷副課長の左手の甲を強く殴打した行為は、国家公務員法九九条の「職員は、その官職の信用を傷つけ、又は官職全体の不名誉となるような行為をしてはならない」との規定に違反することは明白であり、もって、同法八二条一号に該当し、更に同条三号に該当する。

原告の前記行為を放置した場合、他の公務員及び社会に与える影響等諸般の事情を総合的に考慮すれば、被告が原告に対し、その責任を確認し、公務員関係における秩序を維持する目的をもって行った本件処分は、何ら重きに失することはなく、本件処分が社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を濫用したと認められる場合に該当しないことは明らかである。

なお、国家公務員に対する懲戒処分は、当該公務員の職務上の義務違反行為はもとより、国民全体の奉仕者として公共の利益のために勤務すべき公務員としてふさわしくない非行がある場合には、その責任を確認し、公務員関係の秩序を維持するため科せられる制裁である。したがって、その非違行為が当該公務員の公務従事中にされたものであるかどうか、あるいは勤務時間外にされたものであるかどうか、更に公務員同士の関係にあるかどうかを問わず、懲戒処分の対象となる。

以上のとおりであるから、原告の請求には理由がない。

四  原告の主張

1  懲戒事由の不存在について

原告は、平成六年六月三日午前八時以降、京橋郵便局普通郵便課配達区分事務室において、他の職員と共に、配達区分作業に従事していた。小林課長は、航空郵便の配達区分作業を行っていたが、区分未了の航空郵便が相当量残り、他方で他の職員の内国郵便の処理が終わりかけていたので、午前八時四〇分ころ、周囲の職員に対し、自己の区分作業を手伝ってもらうため、漠然と、「これをやってくれ」と、自分の手には負えずに半ば投げ出すような調子で声をかけた。

原告は、これに対し、自分がやる旨応答し、小林課長の前にあったファイバーを、原告が作業していた区分函のある所へ持って行った。なお、航空郵便の区分は横文字で読みにくかった。

原告は、ファイバーを運ぶ折り、誰それとなく冗談を言うような調子で、「年寄りは横文字が読めないからなあ」と言った。

小林課長は、突如、大声かつ早口で、原告が自分の区分函に着く直前くらいに、原告の背後から頭ごなしで「誰に向かって言っているんだ」と怒鳴って、原告に早足で近づいてきた。周囲の職員も、一体全体何事が起こったのかという感じだった。

原告は、小林課長が異常な怒り方だったため、関わり合いになりたくなかったこと、また、実際に冗談半分の気持ちで述べたものであったから、「冗談、冗談」と軽くかわし区分作業に入った。

しかし、小林課長は、原告が区分作業をしている脇約六〇センチメートルの至近距離にやって来て、数回以上にわたり、「暴言だぞ」と繰り返した。原告は、これに対して、「いや、独り言、独り言」、「冗談、冗談」と述べて軽く流そうとし、また、区分作業を継続した。

このようなやり取りの最中にいつの間にか、椎谷副課長が原告の近辺にやってきて、原告の背後やや斜め左の約五〇センチメートルのところに立った。

原告は、正面に区分函、左右には台車に乗ったファイバーがそれぞれあり、更に左脇には小林課長が威圧的な態度で原告を監視しながら「暴言だ」と騒いでおり、背後には椎谷副課長が原告の一挙手一投足を監視するという、四方を囲まれた状態に追い込まれた。

椎谷副課長は、原告の側には来たものの、小林課長が何をもって「暴言だ」と述べているのか理解していなかったため、そのまま立っていた。小林課長は、そこで、椎谷副課長に対し、「メモしなさい」、「メモを取りなさい」と二度指示を出し、椎谷副課長もメモを取り始めようとした。

原告は、小林課長及び椎谷副課長に囲まれ、暴言でもない些細な軽口を「暴言、暴言」と何度もましく立てられ、更には作業の手を休めようものなら小林課長から業務命令を濫発されるのが必至という状態で、ほとほと神経をすり減らしていた。原告は、そこに椎谷副課長がメモを取り始めるような気配を感じた。原告は、そこで「やめてくれよ」と言いながら区分中の郵便物を持った左手を、やや上から下に向けて軽く振ったところ、右郵便物が椎谷副課長の右手に触れた。原告が軽く手を振ったのは、自分は何も非難されるようなことなどしてもいないのに、椎谷副課長が大仰にメモなど取って、罪人扱いすることはやめて欲しいという心情からだった。

小林課長は、これを奇貨として、「暴力だ」、「処分の対象になる」と騒ぎ立てた。

椎谷副課長は、痛みを感じている様子もなく、手帳・ボールペンを落とすこともなく、その場に何事もなかったかのように立っていた。

2  本件処分の違法性

本件処分は、事実を誤認し、かつ法令の適用にも誤りがあり、処分権を著しく逸脱・濫用した違法なものとして取り消されるべきである。

(一) 事実誤認の違法

前述したとおり、原告は、郵便物の区分中に、左手に握持していた郵便物で、椎谷副課長の手に軽く触れたに過ぎない。原告が左手こぶしで、椎谷副課長の手を強く叩く暴行を加えた事実は一切ない。それを前提とした本件処分はその基礎となる「非違行為」を誤認したものであり、取り消されるべきである。

(二) 仮に原告の所持していた郵便物が椎谷副課長の手に触れたことがごく形式的に「有形力の行使」だとしても、実質的な違法性はほとんどない。にもかかわらず本件処分を強行したのは、処分権の逸脱ないし濫用であって取り消されるべきである。

(三) そもそも、原告をして軽く手を振るような行為に追い込んだのは、単なる冗談を「暴言」だと大騒ぎし、原告を威圧し続けたほかならぬ小林課長及び椎谷副課長である。管理職たる者が、かかる行為をしておきながら、精神的圧迫を受け、やむにやまれずに行った原告の行動を処分することは、信義則上も許されない。被告の責任を棚に挙げておいて、原告の些細な行動をあげつらうような本件処分は、処分権を濫用したものであって、取消しは免れない。

(四) 本件処分は、仮に「有形力の行使」だとしても、重きに過ぎ、均衡を失しており、処分権の濫用として取り消されるべきである。

(五) 本件処分は国家公務員法八二条一号及び三号を根拠とするものである。

しかし、被告は、国家公務員法八二条一号該当性につき、何ら具体的に示すことはできず、人事院も右該当性を事実上否定し、三号該当性のみ肯定した。しかし、同条三号は、公務員の国民全体の奉仕者性を前提とした規定であり、公務員内部の問題というより、公務員と国民、公務員と非公務員との関係を中心に規律した規定であり、本件のように公務員同士の案件に関する場合には適用されるべきではない。そして、公務員内部の規律に関しては、むしろ同条二号が予定されているから、同条三号も本件には適用されないというべきである。よって、本件処分は、国家公務員法の根拠なく行われたものであって取り消されべきである。

第三当裁判所の判断

一  原告による暴行の事実について

1  (証拠・人証略)によれば、原告が、平成六年六月三日午前八時四四分ころ、京橋郵便局三階の普通郵便課配達区分事務室において、区分函に向かい郵便物の区分作業を行っていた際、自分の後方やや斜め左の約五〇センチメートルのところで、左手にメモ帳を持ち、右手にボールペンを持ってメモを取っていた椎谷副課長に対し、突然体を左方向に回転させ、振り向きざまに、左手のこぶし小指側面で、椎谷副課長の左手の甲を強く殴打し、もって、椎谷副課長の両手が重なり合うような形でみぞおち付近を強打し、強い衝撃を与えたことを認めることができる。

2  原告は、右暴行の事実を否認し、左手をやや上から下に向けて軽く振ったところ、左手に持っていた郵便物が椎谷副課長の右手に触れたに過ぎないと主張し、(証拠・人証略)及び原告本人の各供述中には右主張に沿う部分がある。

しかしながら、以下に述べるとおり、証拠によれば次の各事実を認めることができ、これらの事実は、前記各証拠の信用性を裏付けるに足りるものであり、原告の主張に沿う右各証拠は採用することができない。すなわち、

(一) (証拠略)、原告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)に弁論の全趣旨を併せて考えれば、原告は、率先して仕事を引き受けて郵便物の区分作業を行っていたのに、冗談で言ったつもりのことが小林課長に暴言であるととがめられ、椎谷副課長がメモまで取り始めたことに反発し、メモを取るのをやめさせたい衝動に駆られたことを認めることができ、原告本人の供述中、この認定に反する部分は採用しない。

(二) (証拠・人証略)(<人証略>の証言中後記採用しない部分を除く。)並びに原告本人尋問の結果(後記採用しない部分を除く。)によれば、原告は、(態様、程度は別として)椎谷副課長の手に接触した直後、小林課長に、「暴力だ。現認したぞ。」と指摘されたのに対し、「暴力は認めるけれど、挑発はやめてくれ。」と応答したことを認めることができる(<人証略>及び原告本人の各供述中、この認定に反する部分は採用しない。)。

(三) (証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、椎谷副課長は、平成六年六月一〇日、小林課長の指示を受け、原告に同年六月三日の件で弁明と反省の機会を与え、始末書を作成させるため、原告の暴力行為のことで事情を聞く旨を告げて小林課長の席まで同行を求めたが、原告は、「暴力なんか振るっていませんよ」、「挑発しないでよ」と述べて拒否したこと、原告は、京橋郵便局長に対し、同年六月一七日、同年六月一五日付けの自筆の「申し立て書」と題する書面を提出したこと、同書面には、「私は作業の妨げになるので左手でどいてもらおうとしたら椎谷副課長の右手にふれてしまいました。すると、副課長が大声で『暴力だ。』続いて課長が『暴力をふるったな。』『処分の対象になる。』さらに『暴力だ。』『暴力だ。』と連呼しました。私は手がふれたことに対して『このことは認めるよ。』それに対して課長は『暴力を認めるんだな。』それに対して私は答えませんでした。そして、私は『(ふれたことについて)認めるけれど課長も挑発しないで下さい。』(中略)私は暴力をふるおう等とは思ってもいませんでした。偶然手がふれました。」等の記載があるが、左手に持っていた郵便物が椎谷副課長の右手に触れただけであるとの趣旨の記載は全くないこと、小林課長は、同年六月二三日、荒野晟副局長(以下「荒野副局長」という。)の指示を受け、右の書面について事情を聞くため、その旨を告げて副局長室への同行を求めたが、原告はこれを拒否し、その後荒野副局長が同年六月三日の件で弁明の機会を与えるため事情聴取をする旨告げたが、原告はこれも拒否したこと、以上の事実を認めることができる。

(四) 右各事実によれば、原告は、平成六年六月三日当時まだ二三歳であり、自分が率先して仕事を引き受けて郵便物の区分作業を行っていたのに、冗談で言ったつもりのことが小林課長に暴言であるととがめられ、椎谷副課長がメモまで取り始めたことに反発し、メモを取るのをやめさせたい衝動にかられたのであるから、年齢の若かった原告が、衝動に駆られて突発的に有形力の行使に及んだとしてもおかしくないだけの動機があり、又は心理状態にあったものということができるところ、原告は、問題の行為の直後、小林課長に、「暴力だ。現認したぞ。」と指摘されたのに対し、「暴力は認めるけれど、挑発はやめてくれ。」と応答しているのであり、その後、暴力を振るったことを否定したものの、小林課長、荒野副局長の事情聴取等を拒否し、自ら真実がどうであったかを積極的に弁明しようとせず、また、自ら作成して提出した書面では、偶発的な行為であった旨を記載しているものの、自分の手が椎谷副課長の手に触れてしまったことは、この時点ではなおも認めていたのであって、これらによれば、原告が、メモを振り払おうとした際、手に持っていた郵便物が椎谷副課長の手に軽く触れてしまったに過ぎないとの原告本人の供述部分とはそぐわない事実が継起していることを否定することはできず、かえって、原告が一時的な衝動に駆られて突発的に有形力の行使に及んでしまったものであり、原告は、その行為の意味を自分でも認識し、否定していなかったが、懲戒処分を受ける事態を危惧し、次第に、偶発的な行為であったと弁明するようになったものと理解する方が自然である。

(五) 他方、小林課長は、原告が自分に対して暴言を吐いたと受け止め、管理者として、何らかの措置を執ることになる事態をも想定して、約六〇センチメートルの至近距離から原告の挙動を注視していたのであるから、原告が暴力を振るったか否かについてこれを見誤った可能性は考えにくいところ、目撃した直後に、原告に対し、「暴力だ。現認したぞ。」と指摘しているのであって、この指摘は、これが意図的に虚偽の事実を語ったものであることをうかがわせる事情を見出すことができない限り、真実を語っているものと考えるのが合理的である。また、椎谷副課長は、少なからぬ衝撃を受けたと感じ、その場で「暴力だ。」と述べているのであるから、その程度には幅があり得るとしても、これも、意図的に虚偽の事実を語ったものであることをうかがわせる事情を見出すことができない限り、真実を語っているものと考えるのが合理的である。この点で、小林課長及び椎谷副課長の右の指摘に対し、原告がどのように対応したかが重要な意味を持つと考えられるが、原告の対応からすると、一時的な衝動に駆られて突発的に有形力の行使に及んでしまったものであり、その行為の意味を自分でも認識し、否定していなかったものと見るのが相当であることは、既に述べたとおりである。

さらに、(証拠・人証略)によれば、問題の行為があってから間もない午前九時二〇分ころ、荒野副局長の指示に基づき、小林課長及び椎谷副課長が、問題の行為を再現し、これを写真撮影したことが認められ、小林課長及び椎谷副課長の前記の言が真実であるとすれば、再現場面の写真の証明力も高いものということができる。

そうすると、原告が椎谷副課長に対して暴行を加えたとの趣旨の前記各証拠は、その信用性を裏付けるに足りる十分な根拠があり、他方、暴行の事実を否定する(証拠略)並びに(人証略)及び原告本人の前記各供述部分はこれを採用することができないといわなければならない。

3  (証拠略)及び弁論の全趣旨によれば、小林課長が、人事院での審理の場において、原告の問題の動作を再現したこと、当時の位置関係その他の状況からすると、この動作そのものでは、原告の左手は椎谷副課長の肩又は首あるいはせいぜい胸の位置に当たり、みぞおち付近でメモ帳を持っていた椎谷副課長の左手に当たることはないことが認められるが、他方、(証拠・人証略)及び弁論の全趣旨によれば、(証拠略)の写真撮影のために小林課長が原告の問題の動作を再現したときには、その動作を受けるべき椎谷副課長役を務める人物を後方に立たせなかったために、小林課長が椎谷副課長の左手の甲を目がけて殴打するという動作を行わず、左手の高さの位置に十分な注意を払っていなかったことが認められ、この事実に照らして考えると、小林課長が再現した問題の動作では、椎谷副課長の左手の甲を強く殴打し、もって、椎谷副課長の両手が重なり合うような形でみぞおち付近を強打し、強い衝撃を与えるようなことはできないことを考慮しても、前記のとおり、原告が、左手にメモ帳を持ち、右手にボールペンを持ってメモを取っていた椎谷副課長に対し、突然体を左方向に回転させ、振り向きざまに、左手のこぶし小指側面で、椎谷副課長の左手の甲を強く殴打し、もって、椎谷副課長の両手が重なり合うような形でみぞおち付近を強打し、強い衝撃を与えたとの事実の認定を動揺させるに足りない。

4  (証拠略)には、原告がいきなり振り向きざま左手の拳でメモ中の椎谷の両手の甲を激しく殴打した旨の記載があるが、(人証略)は、原告が椎谷副課長の左手の甲を激しく殴打したと証言しているので、この不一致が問題となる。

しかし、原告は、椎谷副課長が右手にボールペン、左手にメモ帳を持ちメモを取っているときに、椎谷副課長の左手を殴打したため、椎谷副課長の両手が重なり合うような形でみぞおち付近を強打し、強い衝撃を与えたものであるから、椎谷副課長が両手を強く打たれたと認識し、小林課長がそのように目撃したとしても、あながち不合理であるとは言えず、前記の不一致が前記各証拠の原告の暴行に関する部分の信用性を損なうとまでは言えない。

5  (人証略)の各供述中には、原告の問題の動作の後、約一五分たった時点でも、椎谷副課長の左手の甲には赤みが残っていたという部分があるが、そのように長時間、椎谷副課長の左手の甲に赤みが残っていたことを裏付けるべき事実は見出し難く、(人証略)の右各供述部分は採用することができない。しかし、他方、原告の前記行為に関する(証拠・人証略)の信用性を裏付けるに足りる事実が認められることは前記のとおりであるから、椎谷副課長の左手の甲に約一五分間赤みが残っていた旨の(人証略)の各供述部分を採用することができないからといって、それ故に、原告の前記行為に関する(証拠・人証略)の信用性がすべて損なわれるものではなく、その証明力を全部否定することはできず、前記暴行の事実の認定を動揺させるに足りない。

なお、原告の前記行為の態様は、原告の左手のこぶし小指側面で椎谷副課長の左手の甲を強く殴打し、その結果、椎谷副課長の両手が重なり合うような形でみぞおち付近を強打し、強い衝撃を与えたというものであり、椎谷副課長の左手の甲に約一五分間赤みが残っていた事実が認め難くても、原告の前記行為が軽微なものであったということはできない。

二  本件処分の適法性について

1  国家公務員につき懲戒事由がある場合において、懲戒権者が懲戒処分を行うかどうか、懲戒処分のうちいずれの処分を選ぶべきかは、その判断が、懲戒事由に該当すると認められる行為の性質、態様等のほか、当該公務員の右行為の前後における態度、懲戒処分等の処分歴、選択する処分が他の公務員及び社会に与える影響等、広範な事情を総合してされるべきものである以上、平素から庁内の事情に通暁し、部下職員の指揮監督の衝に当たる懲戒権者の裁量に任されているものと解すべきであり、懲戒権者が右の裁量権を行使してした懲戒処分は、それが社会観念上著しく妥当を欠いて裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したと認められる場合でない限り、その裁量権の範囲内にあるものとして、違法とならないものというべきである。したがって、裁判所が右の処分の適否を審査するにあたっては、懲戒権者と同一の立場に立って懲戒処分をすべきであったかどうか又はいかなる処分を選択すべきであったかについて判断し、その結果と懲戒処分とを比較してその軽重を論ずべきものではなく、懲戒権者の裁量権の行使に基づく処分が社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権を濫用したと認められる場合に限り違法であると判断すべきである(最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決民集三一巻七号一一〇一頁及び最高裁昭和五二年一二月二〇日第三小法廷判決民集三一巻七号一二二五頁参照。)。

2  本件処分の適法性について

前述したとおり、原告は、平成六年六月三日午前八時四四分ころ、京橋郵便局三階普通郵便課配達区分事務室内において、椎谷副課長に対し、左手こぶし小指側面で、同人の左手の甲を強く殴打し、その結果、椎谷副課長の両手が重なり合うような形でみぞおち付近を強打することとなり、椎谷副課長に強い衝撃を与えたことが認められる。

原告の右暴行行為は、職員の管理に当たる上司が職務としてメモを取ろうとしたのを実力で妨げる目的で行ったものであり、その行為態様も右のとおりであって決して軽微なものではない。原告は、率先して仕事を引き受けて郵便物の区分作業を行っていたのに、冗談で言ったつもりのことが小林課長に暴言であるととがめられ、椎谷副課長がメモまで取り始めたことに反発し、年齢が若かったこともあって、メモを取るのをやめさせたい衝動に駆られて突発的に有形力の行使に及んだものであり、汲むべき事情が全くないわけではないが、右のとおり、原告が暴行行為に及んだ目的、その行為態様、行為後も反省しているわけではない原告の態度等を考えると、これを軽視することはできないから、本件処分が、懲戒権者の裁量権の行使として、社会観念上著しく妥当を欠き裁量権を付与した目的を逸脱し、これを濫用したものと認めることはできず、本件処分は適法なものであるというべきである。これに反する原告の主張は理由がない。

なお、原告は、被告が本件処分の根拠とした国家公務員法八二条一号及び三号は本件で適用がない旨主張するが、前述したとおり、原告は、その職務遂行中、上司に対し暴行を加えたものであり、これは同法九九条に違反する行為であり、同法八二条一号及び三号に該当することは明らかであって、原告の右主張は理由がない。

三  結論

したがって、本件処分の取消しを求める原告の本件請求は理由がないからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 髙世三郎 裁判官 合田智子 裁判官 井上正範)

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